新潟地方裁判所 昭和40年(わ)247号 判決 1966年2月01日
被告人 吉田豊三郎
主文
被告人は無罪
理由
本件公訴事実は別紙記載のとおりである、
(公訴事実中当裁判所の認定する本件につき争いのない事実)
<証拠省略>を綜合すると、
1 被告人が昭和三六年二月ごろ五十嵐久次よりその所有にかかる五泉市大字五泉字城廻二八六四番田六畝二〇歩(二〇〇坪、別紙図面参照、以下同じ)のうち東側一畝一〇歩(四〇坪、分筆后の地番は同番の二)を宅地に転用するために買いうけ、同年二月一八日同市農業委員会を通じて五十嵐久次と連名で新潟県知事に対し農地法五条に基く宅地転用のための所有権移転の許可申請をし、同年四月六日ごろその許可をうけたこと、
2 大島秀光が被告人と同時に五十嵐久次より前記城廻二八六四番田のうち西側五畝一〇歩(一六〇坪、分筆后の地番は同番の一)を前同様買いうけたとして同年二月一五日被告人と同様の手続を経由して前同様の許可をうけたこと、
3 右城廻二八六四番の二は同番の一の東側に隣接し、公道と接続しないいわゆる袋地であること、
4 五十嵐久次が大島秀光に対し、前記城廻二八六四番の一田五畝一〇歩の所有権移転の登記手続を経由することなく、右田のうち南側溝畔にそつて間口四米、奥行被告人の前記田一畝一〇歩に達する部分一畝三歩(三三坪、分筆后の地番は同番の三、以下本件係争地という)を分筆登記した上、被告人と連名で同三九年四月二〇日ごろ前記農業委員会を通じ、新潟県知事に、右本件係争地を通路として使用するため五十嵐より被告人に譲渡したので許可を願いたい旨農地法五条による許可申請を行い、同年五月二八日ごろその許可をうけ、更に右係争地につき同年七月二日中蒲原郡村松町乙一二六番地新潟地方法務局村松出張所受付第二九五二号をもつて、同年六月一日売買により五十嵐久次より被告人に所有権が移転した旨の登記を経由したことが認められ、以上の点は訴訟当事者間に争いのない事実である。
ところで検察官は「被告人はかねてより大島秀光に対し前記城廻二八六四番の一の土地の一部に私道を設置して使用させてもらいたい旨依頼し、一旦その約諾をうけたものの、右大島が被告人の希望する間口四米の私道設置に難色を示し、その要求に応じなくなつたので、これに困惑した末、右大島の前記土地が登記簿上いまだ右五十嵐の所有名義になつているのを奇貨とし、地主である五十嵐と共謀の上、大島所有の本件係争地につき被告人に対し二重に売買したものとして前認定のごとく二重に農地法五条に基く許可申請を行い、その許可を得た上、その旨の所有権移転登記を経由したもので、被告人の本件所為は共謀による刑法二五二条一項の横領罪に該当する」と主張するので検討すると、刑法二五二条は横領の目的物に対する犯人の関係が占有という特殊の状態にあること、すなわち犯人が物の占有者である特殊の地位にあることをもつて犯罪の条件としているものであり、かかる犯人の特殊の地位は刑法六五条にいわゆる身分に該るものといわねばならない(最高裁判所昭和二七年九月一九日判決、刑集六巻八号、一〇八三頁参照)ところ、不動産の所有権が売買によつて買主に移転した場合、登記簿上の所有名義がなお売主にあるときは、売主はその不動産を占有するものと解すべきであり(同裁判所昭和三〇年一二月二六日判決、刑集九巻一四号三〇五三頁、同裁判所三四年三月一三日判決、刑集一三巻三号三一〇頁参照)、且右売主による不動産の占有は、買主との間の、登記簿上の所有名義移転に関する法的信頼関係に基くものであるから、本件土地の売主である五十嵐久次については(本件が二重売買に該るかどうかは別としても係争地について少くとも二重に農地法五条の許可申請がなされたことについて争いのない限り)刑法二五二条の横領罪の成否が問題となるが、被告人自身については同罪成立の条件である身分がないこと明らかであるから、被告人が本件所為につき共謀による横領罪の刑事責任を負うかどうかの問題は、刑法六〇条、六五条一項の適用を介して五十嵐久次の所為が果して検察官主張のごとき横領罪を成立せしめるかどうかを前提としている(換言すれば少くとも五十嵐久次の横領罪が成立しない限り、被告人について横領罪は成立しない。被告人について賍物故買の罪責を問えるかどうかも同じ前提に立つ。)といわねばならないから、以下において先ず五十嵐久次の刑事責任について検討を加える。
(五十嵐久次の横領罪の成否について)
弁護人は「本件係争地は、五十嵐久次、大島秀光、被告人の三者間で、前記農地法五条に基く許可申請の際の土地区分に拘らず、袋地を所有する被告人の所有とする旨のとりきめが成立しており、五十嵐及び被告人は右とりきめに従つて本件係争地につき被告人に対する所有権移転登記を行つたもので、五十嵐としては被告人に対し当然果すべき登記義務を履行したにすぎず、他人の物を不法に領得する意思はなかつたから、横領罪は成立しない」と主張するので検討すると、前掲各証拠を綜合すると、被告人及び大島秀光の前記農地法五条に基く許可申請当時、両者間に大島が被告人のため、将来(右許可のあつた時、以下同じ)本件係争地を私道として使用することを認める旨の合意(この合意による私道使用権の性質は必ずしも明確とはいえない)が成立しており、五十嵐も了解していたことは認められるが、弁護人の主張するごとく、右許可申請当時五十嵐、大島、被告人三者間で本件係争地の所有者を被告人とする旨のとりきめがあつたとは認め難く、更に又五十嵐、大島間で、五十嵐が大島に対し前記城廻二八六四番の一を譲渡する際、本件係争地については特に所有権を留保する旨の特約があつたこと、或は大島、被告人間で、本件係争地は将来大島より被告人に分譲(贈与)する旨の合意が成立したとまで認定することは困難であり、右認定に反する証人五十嵐久次及び被告人の当公判廷における各供述は後段認定の事実に照らしいずれも措信できない。
ところでこの点につき弁護人は、「(1) 被告人は商品倉庫を建てる意図で被告人の遠縁に当る五十嵐と本件土地の譲渡につき交渉していたが、五十嵐が単に売るのではなく、二倍半の面積の代替地と交換したいという事だつたので、この事を当時被告人の店舗の一部を借受けて瀬戸物商を営み、被告人と親密の間柄であつた大島秀光と相談した結果、被告人は大島と共同で本件土地の譲渡をうけることとし、大島が木村某の所有する五泉市五泉長尾、の田一反四畝五歩(四二五坪)を金三五万円で買取つて之を代替地とし、二倍半に満たない七五坪分は現金で決済することとなつた。(2) そこで三者間で協議した結果、本件土地を坪当二、一五〇円と見積り大島は自己取得分一六〇坪の代金として三四四、〇〇〇円、被告人は自己取得分四〇坪の代金として八六、〇〇〇円を各負担することとなり、被告人は五十嵐に対し支払うべき金八万円の内金五万円を支払い、大島に支払うべき六、〇〇〇円は大島の被告人に対する未払家賃と相殺して支払つた。(3) そもそも袋地と然らざる土地とが同一の機会に同一の単価で取引されることは通常考えられないことであり、又かかる場合袋地所有者が単に道路の通行権を認めてもらうだけで満足することは特殊の場合を除いて考えられない。(4) 尚当時五泉市農業委員会ではかかる袋地について農地法五条申請を行う場合、公道に通ずる道路を設けること、右道路の幅は四米のものとするよう行政指導を行つて来たのであつて、(5) 五十嵐、大島、被告人はいずれもかかる事情から前記のごとく将来本件係争地を袋地所有者となる被告人の所有とする旨の合意が成立したものであると主張するのであるが、前掲各証拠によれば、右主張事実中(1) (4) の事実についてはほぼ主張にそう事実が認められ、(3) の前段については正にその主張のとおりである。ところで大島秀光及び被告人の本件土地取得の範囲及び之に要したそれぞれの出費の計算については前掲各証拠、特に五十嵐久次の検察官に対する昭和四〇年九月一五日付供述調書によれば、本件土地二〇〇坪は協議の結果坪当二、〇〇〇円と見積つて総額四〇万円とし、大島秀光は前記西側一六〇坪を取得し、その対価は三五万円、被告人は前記東側四〇坪を取得し、その対価として五万円を負担することとし、(坪当り、前者は二、五〇〇円、後者は二、〇〇〇円)、大島は前記代替地の提供をもつてこれに充て、被告人は五十嵐に五万円を支払つたことが認められ、右認定に反する証人五十嵐久次及び被告人の当公判廷における各供述は、被告人が五十嵐久次に金五万円しか支払をしていない事実、及び被告人がその主張するごとく大島に支払うべき六、〇〇〇円を、同人の被告人に支払うべき延滞家賃と対等額で相殺した点の裏付証拠の提出がないことに照し、にわかに措信できないから、(2) の事実を前提とする弁護人の(3) の後段の主張は採用できず、又(4) の事実から(5) の事実を認定することも他に特段の証拠がない本件では困難であるといわねばならない。
反つて前掲各証拠を綜合すると、大島秀光は前認定のとおり五十嵐久次より前記二八六四番の一田五畝一〇歩を代金三五万円で譲渡をうけたが、当時大島は被告人方店舗の一部を借りて商売をしており、仲がよかつたので、前認定のとおり本件係争地を被告人が私道として自由に使用することを認めていたのであるが、その後両者間に大島が被告人に支払うべき借家の賃料の不払等をめぐつて紛争が生じ、互に感情的に極度に対立し、大島は被告人の前記私道設置の要求に対し言を左右にして之に応じないのみか、本件係争地に草花を植えるなどして被告人の通行を妨害する挙に出たため、被告人はこれに困惑した末、五十嵐に事情を打ちあけたこと、五十嵐は被告人の窮状に同情し、前認定のごとく一旦大島に譲渡し同人の所有となつた前記田五畝一〇歩が登記簿上いまだ自己の所有名義になつているのを奇貨とし、大島から前認定のごとく譲渡代金金額に相当する代替地の交換をうけているにも拘らず、本件係争地につき前認定のとおり分筆の上被告人に所有権移転登記をした事実が認められる。
ところで五十嵐が被告人に対し本件係争地を譲渡(登記申請に際しては前認定のごとく売買となつているが、実態は前認定事実に照らし贈与と認める外ない)した所為は、いわゆる不動産の二重譲渡に該当し、一般には不動産の二重売買を行つた売主については、自己の占有する他人の物を不法に領得したものとして刑法二五二条の横領罪が成立する(最高裁判所昭和三三年一〇月八日判決、刑集一二巻一四号三二三七頁、前記同裁判所昭和三〇年判決参照)と考えられるところ、不動産の所有権が意思表示だけで当事者間に移転の効力が生じる民法上の原則との関係で、いかなる場合でも二重売買の売主は横領罪の刑事責任を負うべきかどうかについては疑問があるのであるが、少くとも本件のごとく、売主である五十嵐久次において第一の譲受人の大島から売買代金金額の支払をうけた後、その一部を二重に譲渡し、第二の譲受人の被告人に対し所有権移転登記を経由した場合には、当該部分につき刑法二五二条の横領罪の既遂の刑事責任を免れないといわねばならない。
(被告人の刑事責任について)
次に不動産の二重譲渡をうけた第二の譲受人の刑事責任について考えると、悪意の譲受人は、横領罪の目的物である不動産所有権の帰属と関係なしに、売主の横領行為に対する共同加功又は認識の程度のみによりその刑事責任の有無を問わるべきものであるかどうかが問題となる。何故なら悪意の譲受人は通常売主に横領罪が成立すべき基本的事実関係につき認識しているのみでなく、前記のごとく横領行為を所有権移転登記により既遂となるとすれば売主と共同して横領の実行々為に加担することになるから、その所為は刑法上横領罪の共犯か、少くとも賍物故買罪の構成要件を充足するのが通常であらうが、私法上は特段の事情のある場合(仮装売買の場合又は不動産登記法四条、信義誠実の原則、権利の濫用の法理等の適用により排除される場合)を除き、かかる悪意の第三者である譲受人といえども適法に所有権取得の登記を経た場合には第一の譲受人に対し正当に自己の所有権取得を主張しうる(民法一七七条)から、もし所有権の帰属と関係なしに事を論ずると、結局自己の所有物につき賍物故買罪又は共謀による横領罪を成立せしめるという堪えがたい不合理をしのばねばならないこととなる。とすれば売主が不動産の二重売買により横領罪の刑事責任を免れない場合であつても、第二の譲受人が民法上の原因により適法に不動産所有権を取得したと認められる場合には、その者が二重売買である事情を了知し、或は積極的に所有権移転登記申請に加担したとしても、売主の横領行為とは「法律上別個独立の関係」であつて、これをもつて直に横領の共犯と認めることはできないと解する(最高裁判所昭和三一年六月二六日判決、刑集一〇巻六号八七四頁の趣旨参照)のが正当であるといわねばならない。
ところで前掲関係証拠によれば、五十嵐、被告人間で前認定のとおり所有権移転の登記を経由した本件係争地については、昭和三九年六月一日五十嵐から被告人に譲渡(贈与)する合意があつたことは明白であり、被告人が本件係争地を五十嵐から二重に譲渡をうけるについては悪意であつたのみならず、積極的に第一の譲受人である大島を害する意図さえなかつたとはいい難い事情も充分窺えるのであるが、前認定のごとき本件係争地に対する権利関係をめぐる紛争の経緯に照らし、右の事情を以つて、被告人を取引の信義に反する「悪意の第三者」ということはできず、又第二回公判廷における証人大島秀光の供述、第四回公判廷における被告人の供述によれば、昭和三七年六月頃大島が五十嵐に対し前記城廻二八六四番の一田五畝一〇歩につき所有権移転登記申請の協力方を求めた際被告人の異議により中止した事実が認められるが、右異議による中止が「詐欺又ハ強迫ニ因リ登記ノ申請ヲ妨ゲタル」場合(不動産登記法四条)に該当すべき事情の認められない本件では、かかる事実から被告人を登記の欠缺を主張する正当な利益のない第三者であると目することもできない。してみれば被告人は本件係争地につき所有権取得の経過、方法等については道義上非難さるべき点がないわけではないが、適法にその所有権を取得し、大島秀光に対し自己の所有権取得を正当に主張し得る関係にあるといわねばならないから、本件係争地につき売主である五十嵐久次に横領罪が成立するとしても、被告人に対し右横領罪の共犯(共同正犯、教唆犯)或は他の犯罪類型による刑事責任を問うことはできないと考える。
よつて被告事件は罪とならないから刑事訴訟法三三六条により被告人に対し無罪の言渡をする。
(裁判官 石橋浩二)
別紙図面<省略>